檜枝岐村さんぽ

袖萩とお君の像
檜枝岐歌舞伎の代表的な作品「奥州安達ヶ原袖萩祭文の段」の一場面を再現した、袖萩とお君の母子の像は、歌舞伎舞台へとつづく小道の中程に建てられています。
六地蔵
道端にたたずむ六体の石像。山深い里のため、昔から冷害になやまされ、とくに凶作の年には餓死者もでるほどでした。ゆえに、働けぬ赤ん坊が「まびき」されるという悲惨な行為もありました。この稚児像は、口べらしのために「まびき」された霊を弔い母の嘆きを慰めるために建立されたものです。
橋場のばんば
鎮守神(ちんじゅじん)へとつづく参道中程に鎮座するばんばの石仏は、子どもを水難から守ってくれる水神様です。最近では縁結び、縁切りの神様として信仰され、悪縁を切りたいときは、新しいハサミを。良縁で切りたくないときは、サビて切れないハサミを供えるそうです。また、ばんばの頭にお椀のフタをかぶせると、どんな願いでもかなえてくれるといわれています。
板  倉
板倉は、火事から大切な穀物を守るため、家から少し離れた畑の中に建てられました。厚さ10cmほどの板をセイロウのように組み合わせる工法で、窓はなく、釘や柱もいっさい使用されていません。この建築様式は、奈良の正倉院と同じで建築史上重要な文化財です。
尾瀬大納言像
ミニ尾瀬公園前に建てられている尾瀬大納言像は、自然の宝庫、植物の楽園として知られる尾瀬の地名の由来となった人物です。その伝説は、平家追討の合戦で敗れた尾瀬大納言が、尾瀬沼に落ちのび永住したことにはじまると伝えられています。